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秘密結社なべまき社

独断と偏見の生臭さ100%の自己啓発を超絶無視した自己チュー発信ブログ

毒蝮三太夫さんに見た「毒舌」の中の愛されてしまうコミュニケーション

なべまき論

朝、テレビをつけたら毒蝮三太夫さんが出ていた。

齢80歳。

毒蝮さん風に言うと、

「ジジイが他のジジイババアの元気のために毒舌を吐いている」わけで、いや、ほんとこれは高齢化社会なのだなと感じた。

あまりにエネルギッシュなので「80歳?」と数字を見て疑ってしまったのだけど、ウルトラマンの再放送を見ていたわけだからこれで60歳とかなら数字が合わないわけで。

 

毒を制する毒舌キャラ

昔、私は友達に「毒蝮みたい(笑)」と言われたことがあった。

その時は「毒蝮さん?誰?」とさっぱり知らなかったのだけど、テレビで知ったときに「…ここまで酷くないぞ」なんて思ったものだ。

(現在、毒はかなり抑えて社会に紛れています)

 

同時に、毒蝮さんの活動を見て、毒舌の完成度の高さに「こんな毒舌の使い手になれるわけがない!」と毒世界の王様に見えたくらい。

 

「毒を以て毒を制する」じゃないんだけど、それに近い言葉の使い方をしているなと思う。とても簡単に真似なんかできない。ひとたび間違えば諸刃の剣だもの。

 

時々、あんなキャラのおじさんがいるけれど、おそらく絶妙なサジ加減を知らないから自分の知らないところでかなりの殺意を抱かれていると思う。

(笑いながら「ほんとのことを言ってやったんだ、感謝しろ!」的なおじさん、たまにいるよね。毒蝮さんはそれ絶対に言わないんだよ)

 

その毒蝮さんが朝からいいことを言ってたので、備忘録的にこのブログに残しておこうと思う。

 

毒蝮三太夫さんの声かけ3箇条

毒蝮さんが声をかける時に常に心掛けている3箇条があるそうだ。

それは

笑顔で話しかける

肩に手をかける

気にかける

というこの3つ。

 

「俺は日本で一番ジジイとババアに会っているから、付き合い方がわかるんだよ」と他の番組で言っていた。

これを言い切れるってすごいことだと思ったよ。

だって、酸いも甘いも知り尽くした人たちとの付き合い方を知ってるってことだからね!

 

とはいえこの3箇条、

これは「ジジイとババアの世代」ではない世代で「欠けている3つ」だなと感じたんだ。

 

笑顔で話しかける(味方サイン)

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身近な人にほど笑顔で話しかけることを忘れているときがある。例えば、相手が自分の子供の場合。

私自身も「おかあさんはいつも怖い顔をしている」と言われることがあって、仕事をしているときは特に気を付けている。(うちはそれを伝えてくれる子供だったから良かったものの…)

 

ここ数年で耳慣れしてしまった「毒親」なんていう言葉もある。

笑顔ゼロはネグレクト(※)がすでに始まっているサインだと思うから、私も無表情なりに日々努力はしている。

ほんとなら笑顔でいられる環境が持続して自然な笑顔が出来れば望ましいが、365日24時間はとても難しいので「笑顔を作る努力」があるかないかは大きい気がする。

(その努力した笑顔を「気持ち悪い」と言われても頑張るのである)

 

※ネグレクト
  1. 1.
    無視すること。怠ること。
  2. 2.
    養育すべき者が食事や衣服等の世話を怠り、放置すること。育児放棄
    ▷ ⑵は二十世紀末に言い始めた。

肩に手をかける(安心させるサイン)

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日本はハグが習慣化しているような文化ではないし、握手も特別な場面でしかしない。特別な人以外とは身体に触れない、触れてはいけないと言われて育っている人が私を含め多いと思う。

 

私個人的には、あいさつ代わりの握手やハグは超絶苦手である。良く知っている友達やすでに信頼関係が成立している人なら平気なのだけど。

こんな話をすると「いや実は私も…」と言う人もわりと多かった。

 

習慣がある国ではないので体を使うタッチコミュニケーションは日本人にとってはとても難しく、これまた一歩間違えると「激しい誤解」を招くことがある。

 

キャバ嬢してた知り合いを見て「この絶妙なタッチ…100万出しても学びたいわ」と何度か思ったこともあるけれど、関係性の距離、タッチの場所、タイミングを心得ているので稼ぐキャバ嬢ほどトラブルが起こらない気がしている。

 

でも、人間の性(サガ)なのだろう、人に触れられる機会というのはとても心が温まることも本能レベルで知っている。

 

そこで「肩」なのだろうと思う。

 

「肩を貸す」「肩を寄せる」「肩を入れる」「肩を落とす」「肩が軽くなる」

 

こういった慣用句からは「感情表現」と「人と人との距離」が見られるわけだが、タッチコミュニケーション初心者でまず間違いないのは「肩」なのではないかと考えた。

 

肩への手のかけ方を間違えると一触即発になるのだが、叩いたりグイっと押したり引いたりしない限りは比較的安全かと思う。

 

そっと手をかけられた場合、相手も苦手ならばスッと逃げやすいし、手をかけてきた相手の真意も掴みやすい距離。(相手の顔を見ていやらしい笑顔があったら迷わず逃げましょう)

巷の恋愛系のコミュニケーションテクニックなどは「腕をさわる」「太ももをなでる」なんてことも書かれているが、モテる人はそんな部分を触らなくてもモテるって話でね…。(私はこういう男は大嫌いだし、こんな小手先テクで落ちるやつはバカだと思っている)

 

我が子がうざい!という親もいるけど、子供が相手の場合はとりあえず「ハグ」がいい…が、やはりウザイときがあるので肩に手をかけて同じ目線で「どうした?」と聞いてあげるだけでも気持ちは通じると思う。

 

タッチコミュニケーションが得意だと思っている人に限って「ハグが世界を平和にする!」という勘違いノリの人が多い気もする。(本当はミスコミのくせにね)

 

これは個人的な意見だが、仮に「私はハグで友達になれる派」だと思っている人は「ハグしていい?」と一言伝えて欲しいのです。信頼関係ってハグしたから構築されるもんじゃないからさ。

 

嫌なら「あ、今はまだ無理、握手とかでもいい?」と言えますが、我慢して抱擁された側は、相手がいい人であっても怖くてもう会いたくなくなります…。

 「ハグしてもらえない。私は受け入れてもらえなかった」と感じる人なら嘘ハグ習慣なんでやめたほうがいいと思います。

 

「肩」です。「肩」。

 

 <実行するときの注意点>

・後ろから肩を掴まないこと。運が悪いと振り向きざまにカウンター。もしくはカウンターするくらいの敵意か警戒心を相手の心の中に産みます。

・一言声をかけて、驚かせないのがコツ。

 

気にかける

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これはどの世代でも一緒だし、動物を飼っていると動物が相手でも一緒です。

「最近どう?」なんて他愛がないことでも人は嬉しいもの。相手が信頼できない人なら話を発展させずに「あぁ、ぼちぼちやっとるわ」で済ませばいいだけなので。

 

気にかけるというのは「聞き出す」ということではなく、相手の話にひたすら耳を貸して「反応」してあげるだけでもいい。

「うんうん、それで?」

「そうだったんだね」

そう難しいリアクションは必要がないと思う。いい人だと思われようとか、素晴らしい人に思われようとか、そういうのは一切いらない。

 

結局、気にかけてもらえることで満たされるのって「自分の存在意義」だと思うんだよね。「ここで生きてていいんだな」っていう。

 

お年寄りだろうが、小さい子供だろうが、犬だろうが、猫だろうが。

どんな肩書があろうが、どんなにお金が在ろうがなかろうが。

 

誰しもどこかで「1人きりになったらどうしよう」っていう孤独への恐怖を感じていると思う。

それに他人と比べて必ず「自分は何かの弱者」だと認識している人が多い。

年を取ったり、病気になったりすればその思いはさらに強くなる。実際にうちの死んだ父も具合がよくない時は口癖のように「俺なんか生きてないほうがいい」とよく言ってたもんだ。

 

病気と弱者思考が合体してしまうと、なかなかその思いを外から覆すことは難しい。

だから、そうなる前から「気にかける」ということは常日頃からできたほうがいいだろうと思う。

 

自分のことを気にかけてくれる人のことは、気にかかるようになるから。

これは人間関係の中で一番静かな信頼構築方法だと思うし、卑しさがないと思う。

「絆!絆!」と叫びながら繋がっていく人間関係より、ずっと深いし、ずっと温もりがあると思うけど、自分だけかな?

 

毒があっても愛される人の共通点

毒蝮三太夫さんでなくても「毒舌」なのに愛される人というのはいる。

これまでの3つのポイントは無意識におさえているのだろうけど、最大の共通点は

 

相手が自分を好きなことより、自分が相手を好き

 

ということ。

常に興味を持って相手を見ていて、愛されるためにこれら行為をやっていない。

 

愛されるために!というビジネスも流行っているのだけど…自分が好きだと思う人のために、色々やればいんじゃないの?とも感じてる。

 

毒蝮さんはお年寄りが好き。好きだから続いているし、好きだからそれが相手にまず伝わる。

「好き」が先に伝わるから、言葉を受け取る相手が「愛情」を受け取ろうとする。

 

お年寄りに愛されるためにしてることなら、毒蝮さんはとっくに干されていると思う。

愛されるために何かしたって、自分を愛していない人が同じような行動をすれば、必ずその関係の中で「ちぐはぐ」が生じる。

 

なぜなら、「他者からの愛情とお金の搾取」になっちゃうからね。愛されたくてやってることでなんか、永遠に自分なんて満たせやしないってば。

 

変な占いとかコーチングやっている人とか、マジで多いから。誰かの役に立ちたい、必要とされたいという自己満足に他人を付き合わそうとしている人とか「コラ!」と言いたくなる。

(クライアントでコーチスキルのある方は沢山いるのですがこれを読んで「そうそう!」と言う人としかお仕事は組んでないので、頭に来た人は2度と読みに来ないでください)

 

結局誰一人ホントの意味で幸せになる仕事じゃなくなってしまっている人、多いと思うよ。

 

人間なんて輝ける部分があれば闇の部分もあるし、影が出来れば光だって生まれるのね。

 

毒蝮さんの毒って「闇」「影」をあえて露出させちゃって輝き・光に転じる毒に見えるのね。

 

「ジジイ、よくぞ日本の高度成長を支えてくれたよな!」みたいな「あんたのおかげで」という尊敬が見え隠れする。

「ババァ、よくぞ沢山の子供を産んでくれたよな!」みたいな「あんたのおかげで」っていう女の本能的な素晴らしさを称えるかのような想いも見え隠れする。

 

で、結局何が言いたいかというと

 

尊敬の念を持って付き合っていればテクニカルなコミュニケーション術なんて学ぶまでもない気がしているんだよね。

大事なことは相手の顔を見て声を聴いて、でしか学べないはずなのに。

 

実際に心理学だのコミュニケーション学んできて、今の仕事に就いて大声で言っていいことなのかどうかは、さておいて。

 

人に対して尊敬の念が持てないでテクニカルなことだけ学んでいる人って、それがなんだかバレている…。

 

教科書の中で人の心の動きとか距離感とか温度差とか、絶対に学べないんだよ。

現場たたき上げしかないよ?教科書と付き合っていくわけじゃないんだから。

 

かつて人が嫌いで、人間不信な私だったからこそ、あえてこんなことを書いてみた。

今はね、毒蝮さんみたいに気持ちのいい人たちばかりが周りにいるから、もうそんなことはあまり思わなくなったけどね!